最後のディズニープリンセス

インターネットのうわさによると、一番最後のディズニープリンセスは全てをさらさらなものにするそうです

つるつるとした物語

世界と何も関係がない物語を作りたい。非常に素朴な思いだ。その物語を一言でまとめられるようなテーマや、論理的な正しさ、可読性や批評可能性、そういったものが全く通用しないようなもの。端的に意味の無いものを書くのではない。私はいわば、本当の異世界転生が書きたい。読者がそれを読むと突如として異世界へと転生し、そしてそこではあなたには到底理解の出来ない事象が起こる。あなたは何も理解できないまま、なぜか当たり前かのように物語が終わる。私は出来れば日本語で書きたくないと思っている。無論、英語やドイツ語やロシア語や、あらゆる実在の言語でも。私は異世界の言語で書くべきだ。一方で、私は恐怖、理解できないという恐怖を表現するべきだとも思う。つまり、異世界の言語による異世界の物語を、日本語に翻訳するという形をとることも出来るだろう。その場合は私は日本語で書くべきだ。

全く意味の分からない、しかし何か『そっち』特有の論理と意味が通っている、そうした物語。しかし、私はそれを作るにはあまりに愚かだ。それは私個人としての愚かさ、そして人間としての愚かさ。異世界、それも『この』世界と何も関係のない世界、そのディテール、それを作るには私はあまりに本を読んでいなさすぎるし、知能が低すぎる。あなたはもしかしたら教育を受けないことによる天然の異世界性でもって私に反論したがるかもしれない。それも正しいかもしれないが、残念ながら私は義務教育を終えている。私がそのような場所にたどり着くためには、知識を蓄えることによって、『この』世界を明晰にすることによってそこに行くしかない。これは難しい。私は本を読めない。
人が物語を書くとき、人は何か意味を見出したがる。何か意味を伝えたがる。そこに何かを込めたがる。何かあると信じたがる。私はそれから逃れられない。私は物語を書こうとすると、いつの間にかテーマについて考えている。論理について考えている。これは難しい。私は人間であることをやめられない。あなたがどれだけ何かを掴もうとしてもつるつる滑り落ちていく、そんな物語。

谷間があって、そこには高温フォームが厚塗りされていることに小主観神経が気づくだろう。あなたはそれから、家に帰って端的な計算を始める。5時間と604秒-3moh経ったのち、……彼は立ち上がってサンド彼は立ち上がってサンド彼は立ち上がってを食べた。イッチを食べた。イッチを食べた。……閑話休題(私はこれを訳すことが出来なかった)。

街をゆく産毛のきらめく女性たち。彼女たちは滑るように街をゆきながら.........










(何か、我々の言語には存在しない、非常に観念的な文法によって書かれている。私はそれを訳すことが出来なかった)

私はスクウェア・ウェル・ポテンシャル・マシーンによって博物館へとしみだした。時刻は既に朝6時を回っていた。人によっては起きている、あるいは眠っている時間帯だ。私は明らかに時間を間違えていることに気づいた。予定より4時間も遅れていた。畜生め。


もうやめるべきだろう。私は完全に失敗している。私には何も書けない。本当に何も。私はとても無力だ。