自分だけが知っていてどうたらこうたらという話を前回の記事でやった。今回もそういう話になる。
「気づいたんスけど…もしかして『今』、“ない”ですよね…?」
中学生のときに、隣の席にいた天パで少し太っている村山が、2時間目の休み時間に、教室の隅まで僕を連れていって僕だけに聞こえる小さな声で、周りを気にしながら言った。こうした行動は逆にクラスの目を引いたが、彼は分かってそれをやっている。同様にこうした考えもまた僕の目を引くと彼は思っていて、とにかく彼は目立ちたかった。それもミステリアスに。彼は誰にでも敬語を使うし、それは少し雑な敬語ーー彼からすると、『他』とは違う口調ーーだったし、時々突然空を向いてぶつぶつ独り言を言った。一度だけ何を言っているのか気になって耳をすませていたことがあったが、聴こえてきたのは「せいそなさーしーそうせいせりさいさーし」だった。僕は上手く聴き取れなかったことにした。その方がお互いのためだった。
彼の話は、彼の予想通り僕の目を引いた。正確に言えば予想通りではなかった。発達段階的に、中学生はこうした実存とか時間とかの形而上学に取り憑かれるもので、こうしたことから、彼が自分が特異な考えをしていて、それは注目に値するという予想は間違っている。僕が驚いたのは彼の理論の方だった。彼の理論はまず背理法が根幹を成しているのだと言う。「背理法が根幹を成している」と彼は言ったが背理法が何かは僕はよく知らない。多分ここにいる誰も知らないだろうし、恐らく別に根幹を成してもいない。まず、今があると仮定して論証の幕が上がる。彼は数直線のある場所に点を書く。次に数直線上の点(つまり今)より左側を過去と考える。点(今)より右側を未来と考える。ここで、この数直線は時間の流れを表していることが分かる。つまり、今を0として右を正の向き、左を負の向きとして、単位を秒とすると時間の流れを表すことができる。当然0+t秒(今よりt秒後)は未来になり、0-t秒(今よりt秒前)は過去になる。すると、もう少し厳密な議論をしてある量子力学の方程式を使うと、今が未来に収斂するため、今はない。というのが彼の理論だった。まず初めに、こいつは殺していいのかなと思った。量子力学、収斂といった言葉を使うとき人間はここまで満足そうな顔になれるようだ。彼のこうした暗い喜びは他者を巻き込まねばならないというその一点のみで暗かった。彼は基本的にいい人間で、一度自転車のチェーンが外れてしまって立ち往生していたときに彼が通りかかって、驚くほどの手際でチェーンを巻き直してくれた。彼は少し恥ずかしそうに「実家がね」と言った。おかしな敬語のない素朴な言葉も相まって、あの時の彼はふたまわりくらい大きく見えた。こうしたことが彼には度々見られたために、彼はクラスでは中々にいい奴として通っていた。もちろん僕にも通っているが、僕にだけこうした話題を持ち出すために、僕だけが彼のこうした性質を知っていて、周りと僕の彼への印象はかなり違うものではあった。彼の理論は正直言ってふざけたものだったし、「その量子力学の方程式ってなに」と訊けば彼は慌てふためいたことだろう。実際僕はそうして、彼は慌てふためいた。この理論はまだ醸成の段階でと彼は言った。その言い方がまた僕の癪に触り、僕はもっと彼を馬鹿にした。独り言のことも言った。自己顕示欲の強いクソ野郎だってことも言った。チェーンのことは完全に僕の頭の中からなくなっていた。僕はどうかしていたのだった。大きな声を出すのは気持ちが良かった。麻薬みたいなものだった。一通り終えた後も彼は何も言わなかった。この辺りで麻薬の煙が頭からようやく消えて、完全に自分が悪いことをしたことに気づいた。僕は何度も謝った。中学生までは、相手が「いいよ」を言うまで謝り続けるのが基本的な戦術であり、義務でもある。謝られた側も即座にいいよをしなければならない。彼はなぜかいいよをしなかった。その代わりにやけに小さい声で「俺ってほんとに何やってんだろう」とつぶやいた。僕だけに聞こえる小さな声だった。僕だけが知っていることだった。当然の帰結として彼は学校に来なくなった。僕だけが理由を知っていた。僕は毎日彼に手紙を送った。僕に会いたくはないだろうと思ったからだ。ある日、そういえばあの理論は完成しそう? と手紙に書いた。思いつきで書いただけだった。許してもらいたかったのかもしれない。僕は君の話をちゃんと聴いていたし、興味もあったし、単純に君のことが好きだったと彼に思ってほしかったのかもしれない。なんでもよかった。とにかく学校に来てほしかった。元通りに。あのチェーンみたいに。
3日後に、僕の家に論文が届いた。少なくとも僕が知っている文章に対するカテゴライズで、論文が最もそれに合うものだった。なぜなら大量に数式が書かれていたし、専門用語で溢れすぎて何一つ理解できなかったからだった。著者名には村山 賢と書かれてあった。論文の最後のページには「俺は死ぬことにする。これはお前の好きにしてくれ。本当にごめん。俺どうすればよかったんだろう。けどお前のおかげでやれることはやれたかも。」と書かれていた。次の日彼は死んだ。みんなが知っていることだ。けどこの論文は僕だけが知っていた。僕は高校生になって美術の予備校に通い、デザイン系の学部に進学した。画像加工について学んだ。卒業制作には、大学から来た文章を改ざんして提出した。3年後に僕は論文を発表した。この論文により量子力学の荒野はその莫大な地平を開き、多くの土地を耕すことに成功した。また時間の連続性や区別にも重要な発見があった。僕は時々急に空を見上げたり、独り言を言ったりするようになった。著者名はちゃんと僕の名前になっている。みんなが知っていることだ。