最後のディズニープリンセス

インターネットのうわさによると、一番最後のディズニープリンセスは全てをさらさらなものにするそうです

日記(そう呼びたいのならば愛)

つい何日か前から大学というものに入っている。万を超える人間、略して、万超(まんこ)の人間たち(これは説明されるまでもなくダブルミーニングであることにあなたは気が付くはずだ。決して単に下品な言葉遣いをしている訳ではないことに注意せよ)。

とにかく沢山の人間たちがいる。精子ぐらいいる。だというのに不思議なことに私は大学に出入りするようになってから、正確には上京してから他人と喋っていない。思い出そう。ホテルの店員さん。コンビニの店員さん。松屋の店員さん。餃子の王将の店員さん。中華屋の店員さん。(不幸なことに)私と席が隣同士になってしまったがためにグループワークをした人達およそ5人。頻繁に電話を掛けてく……れる、母親。

全く話が変わるが、私が侵入している大学には非常に私語に厳しい講師たちがいる。刑法総論民法総論の講師たちなのだが、彼らは一見非常に人当たりがよく、柔和な雰囲気を湛えている。彼らはとても学生思いで、声が平均より高い。優しそうに見える。いや、実際優しい。しかし、お前が授業中に私語をしてみろ。彼らは無表情になり、無言になり、教室の外へ出そうとしてくる。はっきり言ってサイコパスだ。ワンポイントアドバイスとして、私語の注意は1回まではセーフだから、ここぞという時に使おう。2回注意されると単位を認定してもらえないので気をつけるべきだ。
私が一番恐怖したのは、彼らがあくまで「周りに迷惑をかけてはいけない」という名目のもとそのような基準を設けていることにある。だが、これは本当に分からないのだが、そのような理由によって学生に対してなんらかのペナルティを与えるのであれば、その役目を負うのは講師の言う周りであるところの我々(勿論講師自身も含まれる)でなければいけないだろう。講師たちは非常にささいな私語にも怒りを露わにする。私はうるさいのが好きではないが、私にはあの大きさの私語が迷惑になる程のものかはよく分からない。大した話ではない。先生が怖いということだ。

お前は普段一体何をしているんだという声が聴こえる。答えるべきだろう。朝は7時に起きる。一限二限には丁度ないし5分程度の遅刻で辿り着く。授業がない時間は図書館で数学をしている。午後10時頃から家に帰り始める。一日一食。洗濯は二日に一回。1時から2時くらいに風呂に入り、3時ぐらいに寝る。定期的に毛を剃るつもりだ。

ダンサー・イン・ザ・ダークを見た。Björkは歌が上手いし、オタクが好きそうな美しさを持っている(https://en.wikipedia.org/wiki/Ricardo_L%C3%B3pez_(stalker)。叫び声が掠れることは特筆すべきことだ。Björkの演技はとても良かったと思う。こういうことを言うのは病跡学みたいであまり気が進まないのだがBjörk自体もかなりフリークであり(https://youtu.be/s2lRscaX0uI)、まぁつまり、言わば、宮本浩次が日常生活でもおかしいのを見て奇妙な安心感を覚えるそれと似ている。
「ミュージカルは急に踊り始めて変だ」という素朴な思いに対して「主人公の想像力によるもの」だという答えをここでは出している。というか基本的にはみんなそのスタンスだが、わざわざそこに触れるようなものはそんなにないのではないかと思う。私はミュージカルも映画も全く知らない。

不安は目に悪いの。私はこの言葉を理解出来ない。彼女の年齢は恐らく20代後半か30代半ばぐらいだろうが、親が居らず、パートナーが居らず(これは本当に酷い)、日に日にすべてがぼんやりとしていき、息子がいる。孫の顔を見ることは出来ない。目は遺伝する。ほとんどの時間を孤独に過ごしている。好きな物はミュージカル。踊り。歌。リズム。裏切り。殺人。死刑。その彼女が変わらず話し続けるある一つの事実。『不安は目に悪いの』。これらを理解できると言うのは傲慢だ。

裏切り。そう。嘘。金を奪った挙句に自分の金に仕立てあげ自身の殺害まで要求してくる厚かましい男。警察へ身柄を引き渡すため彼女が帰るのを引き止め続けた男。息子の手術のために蓄えた金を(前述の奪った金)弁護人費用のため使う女(しかもそれを自分の金だと主張して使っている)。刑の執行を見には来なかった男。黙り続け歌い続けた女。不安は目に悪いの。あの子には孫の顔を見てほしいのよ。

ミュージカルを終わらせない方法: 最後から二番目の歌が終わる前に死刑を執行される。


踊り。みなさんはどのような踊りをしますか? 一度、みなさんと一緒に踊りたいものだ。そして皆で最後から二番目の歌が終わる前に首吊りしよう。大丈夫。さぁ、怖くないよ。


私にはまとまった思考というものがないように思える。実際そうなのかも。ひとつは、それほどの知性がない。もうひとつは思いつかなかった。また書くかもしれない。


花束を持った女性に出会った。道を歩いていると、その女性は信号待ちをしていた。花の種類は分からなかった。赤と白だった気がする。そういえば私は誰かに花束を贈ったことも、誰かに花束を贈られたこともない。花束。束でなくていい。花。私はオタクだから、幼い幼馴染が花冠を被ってこちらに微笑みかけてくる幻覚を見てしまう。お得意の白ワンピースと見たくないものは徹底的に見ない態度。彼女の首の痣も、火傷のあとも、手首の包帯も、私が勃起していたことも。すべて捨象してあの時はよかった……と思い出にしてしまう態度。私は思い出にはならないよ。思い出になる。ひどく無責任な言葉だと思う。私は思い出になんかしたくない。それで永遠に苦しみ続けたいよ。部屋の中にちらばった服やペットボトルやカップラーメンをクローゼットに全部押し込んで綺麗になった、だなんて、全てをなんだかふわふわして温かいものの方へと押しやって、5年後には笑い話だって笑。また酒でも飲もうぜ笑。ああ笑。だよな笑。うん。ありがとう。ありがとうございます……本当に……私は思い出になっていく。それが嫌だ。全てを覚えていたい。ありのまま。あの時のまま。これもまた思い出になっていく。思い出の中でじっとしていてくれ。私は思い出にはならないよ。


将来は詩人だと誰かに予言された。ベネッセの適職診断で芸術とかをオススメされて本当に芸大を目指し始めた人間たちに思いを馳せている。ベネッセの適職診断がお前に芸術などを勧めた時、それはつまりお前はもうどうしようもない。出来るだけ社会と距離を取れ。と言っている。その点から言うと「将来が詩人」は単に暴言だ。働かずにナヨナヨしながら時々変な言葉を発する人間。真理芸人としての確固たる地位を確立した人々を人は哲学者と呼ぶ。これを詩人で考えると、例えばポール・ヴァレリーはこう言っている。

『あらゆる人間のうちで、詩人は最も実用的な存在だ。懶惰、失望、言葉の不完全、変な目つきなど、――いわば、いちばん多く“実用的”な人間の欠点となり、弱点となり、邪魔となり、損失となるものを集めて、詩人はその藝術によって、それになんらかの価値を付与するのだから』

そうなんだ。詩人は美しいものについて話しているかと思ってた。あるいは生活とか。いや、うーん……とにかくそういうことについてはあまり話していないものだと思っていた。

手作りのマシンガンは、血の味のする黄色い銃弾のかわりに白くて甘いキャンディが発射される。

先生が黒板消しで文字を消して、小さなチョークの粉が黒板の上をゆっくりと滑り落ちていった。不思議な動きだ。重力に従った動きではなかった。電球に照らされたほこりたちもそうだった。彼らは私たちよりいくらか浮いている。

与える愛と与えられる愛との量が同じで全体として見ると愛の総量が変わらないためこれを愛の平衡状態と呼ぶ。