最後のディズニープリンセス

インターネットのうわさによると、一番最後のディズニープリンセスは全てをさらさらなものにするそうです

時計じかけのオレンジみた

時計仕掛けのオレンジをみた。

 

例によってネタバレがある。

 

 

前半の気合の入れようはすさまじく、刑務所に入れられるまでのほとんどのカット(ジョージを理解らせたあとレストランに行くところ以外)が緻密な計算と凝らされた趣向と美学的なセンスを感じさせる。つまり一つの絵となっている。少し前衛的すぎるきらいがあり、うんざりする場面もあったが、なにより気合を感じる。アレックスが女を二人連れ込んでセックスするシーンで、一人の相手をしている間にもう一方が着替えはじめ、セックスが終わるとまた脱がすということをやったのがかなり面白かった。スタンリー・キューブリックのことはよく知らないがギャグ漫画とか描けばいいのに。

 

カメラワークは圧倒的に美しい。

 

後半の画作りはやる気なくなったんかなというくらい普通だった。勿論テーマとか物語の考察とかの考え方をすれば、無軌道的な若者時代から、洗脳による苦痛の時代という変遷がサイケな雰囲気(わけのわからないインテリアや髪色や服装)から暗くどんよりとした雰囲気に変わっていくところに現れているとかの見方もできるが、私からするとネタ切れな感じがした。

 

しかしアレックスを第九で拷問する場面で、作家と変な女と筋トレ男と反動男が悪の秘密結社のように集まる場面は衝撃的だった。特に反動男がビリヤードボールをもてあそぶのは、天才的な描写だった。

 

画は美しいし様々な工夫が見える。逆に言うとそれ以外はあまり印象に残らなかった。セリフ回しは原作者の仕事だし。件の画も奇をてらいすぎているような気がする。でも何十年も前の映画が今でも奇々怪々に映るというのはかなりすごいことかもしれない(百年千年前なら奇怪なのは当たり前だが、十年という単位ならそれが偉大な仕事のように思ってしまうのはなぜだろう)。

 

女とのセックスはくどいぐらいに描くくせに刑務所内の性描写は全くなくてこいつ性欲だけで作ってねぇよな? まぁいいや。

 

時計じかけのオレンジ」というのはロンドンの労働者階級のスラングらしく(【ネタバレ解説】映画『時計じかけのオレンジ』タイトルの意味とラストシーンを徹底考察 | FILMAGA(フィルマガ) (filmarks.com))、まぁ詳細はこれを見ればいろいろ書いてある。