最後のディズニープリンセス

インターネットのうわさによると、一番最後のディズニープリンセスは全てをさらさらなものにするそうです

日記

ショーペンハウアーには本当に勇気づけられる。というか、仏教に勇気づけられる。仏教は耳障りのいいことを言わない。僧たちはミイラになることに多大な幸福を感じ、とにかくこの世界とそこにとらわれた精神は穢れていて終わってるということを力説する。

 

仏教は悟りをキュウキョクの目標にする。救済とかではない。ただ己が最高の到達点に行くことだけを考えている。そこが俗っぽいからこそ、それ以外の部分が清廉潔白になる。耳障りのいいことを言わないから、なんだか信用できる、というわけである。

 

観照だ。俺に必要なのは。名付け以前の世界、赤子の世界だ。そのとき、世界は世界でしかなく、世界はまさしく世界だった。世界の豊潤なる世界としての全体像が立ち現れていたのだ。その真なる現前はもはや失われてしまった。名詞によって。論理によって。

 

すべてがすべてであったような世界。乳呑児にして狂人にして天才の世界。あの場所に還りたい。