最後のディズニープリンセス

インターネットのうわさによると、一番最後のディズニープリンセスは全てをさらさらなものにするそうです

シンエヴァを見た

シンエヴァを見た。とにかく、なんにしろ庵野にはみんなでおめでとうをした方がいいだろう。

 

ここからはネタバレがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直言って期待以上だった。とっくに人間なんて滅びていると思っていたが、みんな力強く生きていたし、かなり大人になっていて、トウジは医者になってみんなから尊敬されていて、良いお父さんになっていた。ケンスケもサバイバルオタクの知識で生活の基盤を支えていたし、けんけんになっていた。信じられるか? けんけんだぞ。ケンスケは式波・アスカ・ラングレーにけんけんと呼ばれているんだぞ。これどうなってんの? しかもアスカの裸見ても動じないし。大人だから? 俺たちを置いていくな。つまるところ、この空白の十四年でシンジ君は無事にアスカをけんけんに寝取られた。こいつらは多分何度もセックスしたりしているし、抱き合って眠ったりしている。まぁその割にシンジと両想いだとわかったときは恥ずかしそうにしてたけど。オッケー、これ以上はもうよそう。俺、耐えられなくなっている。

 追記: 恥ずかしがってたアスカは蒼龍の方なんだそうです。ごめんなさい。これは完全に俺の読解力の問題です。関係ないが、みんな相当シン・エヴァに不満があるらしく、毎日考察とは名ばかりのこじつけと妄想が大量生産され、そして恐らくそのほとんどがやっぱりシンジ×アスカENDだったんだ! というものだ。個人的に、普通にそれはない。なぜならアスカや綾波の好意はそのように設定されたものと明言されてしまっている。本当にアスカとシンジをセックスさせたいのであれば、この『作られた好意』を超える物語をやらないといけないが、それはなされていない。以上。本当の愛情ではない。それはけんけんに向けられているもので、向けられるべきものだ。槍でやり直した後は違うかもしれないじゃんと言う人もいるかもしれないが、それに関してもこの記事の最後らへんで話す。消去法で選ばれたのはマリさんでした。なんなら別に女とくっつける必要も別にないだろ。まぁ一応ボーイ・ミーツ・ガールだから仕方ないかもしれないけど、どっちかと言えばそんな狭い範囲に収まるような話じゃないし

 

 

こういったスケールクソデカロボットアニメにありがちなのが、みんなで一斉に「うおおおおおッッッ!!!!」とか言って突っ込む、みたいなやつで、俺そういうの好きだし、エヴァはそういうのからは今まで距離を取っていたと俺は思っている。旧劇とか首絞めックスで終わるし。

一方でシンエヴァは後半はずっとそんな感じ。逆に言えば、今までは全然物語の終わりじゃなかったってことだろう。これが本当のクライマックスということだ。しかし、今まであんまりそういう雰囲気のエヴァンゲリオンがなかったからか、「なんか、こいつらエヴァコントやってる?」みたいに思えてきて笑けてきた。こいつらまだエヴァでお人形遊びしてんのか? 大の大人が人形片手に大真面目に「この槍は確実に届けなければならない。この船は爆発するが、私が操縦しなければならない。」って言ってるのをみて、たしかにそれは微笑ましいことだが、俺はその光景に深い悲しみを覚える。けどそれをアニメでやられたら正直言ってただの茶番にしか見えない。エヴァ見てるのにグレンラガン見てるみたいな感じ。やる気ありすぎだろこいつら。みたいな。感動するボーボボみたいな。分かる? 悪いって言ってるわけじゃなくて、ふつうに面白かったし、泣きそうになった。艦隊戦とか完全にナディアで爆笑だったし、インフィニティが女の首なし彫刻になって大行進、みたいなのは面白すぎだろこれと思いながら見ていた。

こうしたスケールクソデカロボットアニメはいくつかあるが、やっぱり最終的にはこうなる。つまり、頭が悪くなる(シンジの初号機とのシンクロ率は0ではない。0に最も近いもの、即ち 無 限 である)。ごめん。もうちょいオブラートに包むとやる気とか気合いとか元気とか、特に愛とかが世界を救う。これは、デカすぎスケールを理論や理屈の及ばないものとしての象徴としての愛を持ってくることで強引に風呂敷をたたもうとしているみたいな指摘ではない。世界とか、幸せとかを真剣に考えると、ここに行き着くということなんだと思う。グレンラガンも、ダリフラも、エウレカセブンもそうだったし、多分これからもそうだ。いろいろ言っても、俺たちは誰かの愛で生きている。愛、さいこ〜〜〜!

Qと違って読み手にしっかり説明するぞ! という気概があったのもよかった。絵も上手だったし。実は友達と見たんですが、カップリングにキレていた。まぁ俺もえ? ってなったし、みんなもそうでしょ? 後鈴原サクラ。別にサクラちゃんかわいすぎみたいなこと書いててもいいんですけど、多分作中で一番狂ってて笑った。シンジ君ぶったたいたあとに泣きながらすり寄るとか、完全にDV彼氏の所業じゃん。旧劇のヤンデレメンヘラアスカ役をサクラちゃんしっかり果たしていたのでおぢさん大満足。一番かわいかったよ。

ところでこうしたループもの(合ってるよね?)に思っちゃうこととして、マジ向き合ってないなってことだ。(そしてこれは俺のことだ。俺は今から自意識過剰で文章を書く)

槍があればやり直せるんだ! みたいな爆笑ギャグは確かに面白いが、それはそれとしてマジ逃げんなゴラァッ!って感じだ。一回きりの世界でやっていけよみたいな。実際、補完計画自体は止められてなくないですか? 全部ゲンドウ君の思惑通りじゃん。人間の知性を信じてこの世界で生きていきますみたいにミサトさん言ってたのに、結局神ぶっ殺すし、世界作り直すし、槍でやり直すってこういうこと? カヲル君がやりたかったのこれかぁ... そういえばカヲル君も結構人知れず頑張ってたみたいね。ゆっくり休めばいいとおもうよ。

とにかく言いたいこととしては、おもしろかったし、また見に行きたい。後半はほぼANEMONE。シンジ君覚醒しすぎてポンポン物語が進んでいく。サクラちゃんかわいいし、アスカはけんけんにNTRR(ねとられ)た。シンジとぽか波についてもうちょっとやってほしかったけど、まぁオッケーっしょ! ぽか波主催のみんなでご飯を食べようの会が開催されなかったのが心残りだが、しゃーなし。みんなよく頑張っててすごすぎ。よく頑張った。

悲しいのが、みんな離れ離れになっちゃうところ。結局、みんなエヴァでつながっていた。エヴァがあったから、みんなと出会えた。ニアサードが世界をぶっ壊す寸前までいきながら、一方でトウジと委員長の仲を取り持ったように、エヴァンゲリオンがたくさんのいやなことを引き起こしつつも、エヴァンゲリオンでみんながつながっていた。一緒だったみんなは、エヴァがなくなって、それぞれの道を歩み始める。あの駅のホームで、物語は本当に終わる。多分もう出会うことはない。それぞれの道を行きはじめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、さっきも言ったが、本当にマリでよかったのか? 槍でやり直してはいオッケーでいいのか? アスカはやっと居場所を見つけた。撫でてくれたり褒めてくれたりしてくれる人を見つけた。駅のホームでアスカは1人だった。少なくとも駅のホームでは。今のアスカが一人で大丈夫だとしても、前のアスカは、そうやって褒めたり撫でたり抱きしめたりしてくれる人が欲しかった。少なくとも前は。俺はこのアスカの気持ちをないがしろにしてほしくない。本当にシンジとマリでよかったのか? マリは一人でも大丈夫だろう。今のアスカもそうなのかもしれない。けど、あのアスカはそうじゃなかったし、じゃあ、あのアスカの願いはどうなる? 俺はまだ納得はいっていない。