最後のディズニープリンセス

インターネットのうわさによると、一番最後のディズニープリンセスは全てをさらさらなものにするそうです

罪と罰よんだ

かなり昔に読んだのを記憶を頼りに書いたので、かなり間違っている可能性がある。すみません。

 

 

 

 

とにかく、ラスコーリニコフドゥーネチカのブラコンシスコン小説が見たい。

この本については、もう語り尽くされていると思うし、何より長い。本当に、恥ずかしげもなく感想を言うと「激萎え」って感じだ。どういうことかというと、つまり、暗示されたこと、終わり方、これにある。

とにかく、恋愛が無理だった。美しい愛、新しい生活、いいだろう。それははっきり言ってかなりいい。けど俺はラズミーヒンとラスコーリニコフが見たい! 俺はラスコーリニコフとラズミーヒンが語るでもなく静かに目を合わせ、うなずきあう描写が欲しかった。分かるだろうか? 俺は友情が好きだ。あるいは、本当にスヴィドリガイロフと親密になっても、それはそれで良かった。奥底で似通った部分を感じていればそれで良かった。その点においては、ある程度達成されてはいたように思う。しかしそれは、認めざるをえない真実というよりも、同族嫌悪的な描かれ方をしていた。ラスコーリニコフが自白を選ばなかった将来がスヴィドリガイロフであり、常にスヴィドリガイロフは彼の選ばなかったもの、彼が何かを持っていなかった場合のものとして書かれている。自殺か流刑場か。ところで、スヴィドリガイロフは自殺を『アメリカに行く』と表現したが、なんでだ? 何かの示唆があったはずだが、私はそれを読み落としている。

ラスコーリニコフは自白を選んだ自身のその弱さを唯一罪として考えていたが、一方で彼が言うように、彼は凡人で、卑怯者の強盗で、罪深いし、人を2人殺した。俺はここで3人と言ってもいい。つまり、彼の被害者リストに母親を加えることができると考えている。そう言うことで、更にスヴィドリガイロフとラスコーリニコフの共通点が増える。スヴィドリガイロフはマルファ・ペトローヴナに対し、精神的苦痛『は』与えたかもしれないし、それによって彼女の自殺を加速させたかもしれないと言っていて、これはラスコーリニコフの暗い運命を悟った彼の母親が、恐らくそれによって病気を患ったこととリンクしていると思う。もっと言えば、ラスコーリニコフはやたら女性との関係が多い。殺したのも女2人、妹がいて母親がいて、ソーニャがいて、婚約者がいた。ここら辺に、スヴィドリガイロフの好色との関連性も見出せるように思う。いや、見出せる。私は怖がっている。間違いを恐れている。こんなクソ有名な本で変なことを言ったらみんなに馬鹿にされて住所を特定さるに決まってると思っている。スヴィドリガイロフは妻を亡くした。毒殺したとも言われているが(実際どっちなんだ? 私は殺したようには思えないが、それを信じるにはドゥーネチカと交わしたらしい毒薬の話を無視しなければならない。これは難しい)、ラスコーリニコフとの共通点を増やすという私の狙いにおいて、これはどちらでもいい。

とにかく、最後は愛で終わった。みんなかなりいい感じになった。母は死ぬが、みんな結婚するし、刑期は短くなった。ラザロの復活との関連もあるように思う。ソーニャの献身による自殺にも同じことが言える。文体には引きつけられた。ドゥーネチカとスヴィドリガイロフの部屋でのあれは、本当に真に迫るものがあったし、一気にひきこまれた感覚があった。ラスコーリニコフが殺害する前に見た馬がなぶりごろしにされる夢も、とても大きな悲壮感と現実感があった。また上手く飲み込めない表現、会話などがあった。特にラスコーリニコフと警察の人(名前を忘れた)の会話は基本的に全然理解出来なかった。ドストエフスキーは頭が良すぎる! 俺が悪すぎるのか? とにかく永遠に残るだろう文体であることは疑いようがなく、理解出来ない文章は私の読解力と筆者の文章の洗練に理由があり、なんなら、これだけでも私はこの本をすごいと言える。