最後のディズニープリンセス

インターネットのうわさによると、一番最後のディズニープリンセスは全てをさらさらなものにするそうです

日記

雨の音は本当に不快だ。頭がおかしくなりそうだ。そろそろ前期の授業が終わる。私はいくつ単位をもらえるんだ? 自分が何回授業を休んだかよく覚えていない。まぁ、心配はいらない。そう、心配はいらないんだ。不安なことは何もない。私はいずれ肉体を捨て、意識が世界と融合しながら、永遠に生き続けるんだ。すべては明解になる。私は完全になる。すべてがすべてであるようになる。一つの世界。名づけ以前の世界。

 

雨は

やみます

 

自分が今こうして生きている間に人が死んでいるらしい。まぁ計算上の話だ。もっと死ねばいいと思う。なんだかそのほうが楽しいと思う。人は遅かれ早かれ死ぬらしいが、死に「遅い」ということはあるのだろうか? 人生はそこまで長すぎるものだろうか? あなたたちは生きている間にそんなに早く何事かをなすのだろうか? あるいはなせないから? もしそうならやはり早いも遅いもないだろう。無の時間は無であるがゆえになんの性質も持たないだろう。あるいは死によって時間は無化されるのだろうか? 考えてほしい。宗教を無視する限りにおいて、死後、あなたの意識は完全に消え失せるだろう。生まれる前に戻るといってもいい。そのとき、あなたが過ごした時間というのは果たしてどこに行くのだろう。考えてほしい。こんな場合を想像してほしい。あなたが80歳まで生き、そしてその瞬間、16歳から80歳になる直前までの記憶を失うとき、主観的に、あなたはどのような時間感覚を得るのだろうか? 16歳のはずの自分が、一瞬のうちに80歳になるような感覚を覚えるのだろうか? これが80歳になるまでのすべての記憶を失うとしたら。あなたは気がつくと80歳の老人としてと突如として生まれ落ちたように感じるのだろうか? 重要なのは時間とは主観的にしかありえないということだ。あなたの意識が、あなたの記憶が、最後には灰となるのだとしたら、あなたの時間もまた灰となるのだろうか? 私は、自身の消滅が、そのまま「今までの自身」のさかのぼっての消滅であるように感じられる。遡及的無効。「私」の取り消し。ゲームのデータを消すのは、単にそのデータが消えるのではない。文字通りその「データ」のすべてが消えるのである。あなたがもしかしたらたくさんの時間をかけて手に入れたアイテムや、倒したボス。これらが取り消されるだけではない。あなたがそれを「過ごした」というそれそのものが取り消されるのである。「私がそれを覚えている」。ああその通りだ。私のたとえが悪かった。あなたが死ぬとき、あなたはすでにいない。ゲームのデータを消したときに「でも私がそれを覚えている」と言うときの「私」は死においては存在しない。まさしくそれの取り消しだからだ。であるならば、もはや「私がそれを覚えている」と言うことのできないこの究極の取り消しにおいて、「私の時間」とは一体なんになる? それはもはやなくなっている。取り消されている。あなたが死んで、もしかしたらなにか昔の中学のクラスメイト何人かがあなたの葬儀で「あなたのことをずっと忘れないからね」とか言うかもしれない。それがなんになる? 「私の」時間だ。「私」の記憶だ。私以外に、誰がそれを忘れないように、どころかそもそも、誰がそれを覚えていることができるというんだ? 私の記憶だ。

 

私はもはや自分の意識や意志すらあまり意識してはいない。それらはもう私の人生においてほとんど存在していない。ただ、間歇的に、ときたまそれはあらわれて、次の瞬間には消えている。「私」? もう主語すらあやふやのものに思える。走馬灯のようなものだ。死の間際。生と死のはざまで、もはや消えかかった存在が最後に見る夢のようなもの。 はずいぶん前からだんだん薄れていっている。 は霧のようにつかみどころがなくなっている。なにも考えていない。なにも思っていない。ただうすぼんやりとした残滓のようなものが時々立ち現れて、少し目をそらしたすきには消え去っている。幽霊。幻。なにかがいるような気もする。それは の人生を陰から操っている気がする。 は神なのだろうか? それに近しい何かなのだろうか? 思い悩むことは昔よりうんと少なくなった。 は ではないからなのだろうか? なんだかとてもいい気分だ。自由だと思う。まだ時々 は現れて、様々な情念がこころのなかを通り過ぎていくけれど、それもどんどん少なくなっていって、いつか、すべて消えてなくなっていくんだろうと思う。そうなったらとてもいい。いいことだと思う。幸せなことだと思う。純粋詩における、最も取り除きがたく、最も必要とされているもの、それが消え去ったなら、詩は、もっとすごいところにいける気がする。死。これは死ではないと思う。いや、死なのかもしれない。これは何なんだろう。生ですらない。私はもっと違うところにいる。 はもっと違うところにいる。生でも死でもない場所。そこは、とてもいいところだ。そこにいつか行けたらいい。そう思う。もはや考えはとりとめがなくなっている。それでいいんだ。一歩ずつ進んでいける。どんどん考えがなくなって、感じることがなくなっていけばいいと思う。僅かな残滓だけが残ればいいと思う。残暑。そう。少しの熱。陽炎のゆらめき。有と無の間。幻覚。肉体と精神が分かたれる。幸せだ。