最後のディズニープリンセス

インターネットのうわさによると、一番最後のディズニープリンセスは全てをさらさらなものにするそうです

パプリカ

最近は意図的にあんまりちゃんとした感想を書いていなかったので頑張って書こうと思う。なんでちゃんとした感想を書いていなかったかというと、めんどくさい・変なこと書いたら怒られそう・気持ち悪くなる、からだ。

 パプリカを見てから読まないと多分分からないですしネタバレもあります。

 

とりあえず一番最初に言いたいのが、パプリカって夢の中だけの存在ですよね? 僕の認識としては千葉は現実世界を千葉、サイコセラピー(というか夢の中)の時はパプリカ、という風に人格を分けて使っているという感じなんですが、だとすると冒頭で警部に渡したカード(24:00〜(?)みたいなやつ)ってパプリカが渡しているってことはあれまだ夢の中ですよね? じゃあ何で警部はカード持ってるんだ? 千葉のサイコセラピーって多分遠隔っぽいんで(というかそうじゃないと警部がパプリカが千葉だと知らないことに辻褄が合わない。まさか鍵開けて寝るように言って部屋に忍びこんでDCミニ取り付けるみたいなことはしないはずだ)、警部の夢の中でカード渡して、そのあと千葉だけ起きてカード置いてさよならというのはないと思う。(前述の()内のことも踏まえると)

つまり「この映画は最初から最後まで警部のサイコセラピーのためだけに作られた芝居だったんですよ。映画の中で映画をやっていたわけです」的なことになる。実際これの有用性は高いように思う。警部だけ理事長の夢に飲み込まれなかったり、パソコンでサイトを閲覧しただけで夢の中に入り込めたりという個人的に?なところは最初から都合の良い茶番でしたと考えれば辻褄は合うというか辻褄という概念は完全に息を引き取っている。まぁけどもし本当にこうなんだとしたらパプリカは完全に最悪な映画になるので、これ以上はやめます。

 

他に思ったこととしては終盤の夢と現実ごちゃごちゃ編での透明なものと実体があるものの違いだ。まぁ、これは普通に夢→現実の物体は現実に「なった」ので実体があり、現実→夢(理事長、千葉)は夢に「なった」ので透明という区別だと思う。千葉は時田に食われたが、時田は夢→現実の物体なので現在現実であることの他に過去夢だったという違いがある。つまり夢の世界の住人が現実に侵攻してきて現実か夢かも分からないという状況で、夢→現実の物体に食われた千葉は現実→夢の物体になる(多分)。パプリカがいないため夢になった千葉は千葉のまま夢を見ることになり、結果あーだこーだという感じだと思います。理事長を吸い込みまくって終わらせるところは正直結構無理やり感が強い(時田の「なんでも飲み込んちゃうんだ」が理由にはなっている。なってるか…?)が、まぁいいです。