最後のディズニープリンセス

インターネットのうわさによると、一番最後のディズニープリンセスは全てをさらさらなものにするそうです

黙禱の時間、他

新潮クレストブックスでジークフリート・レンツの黙禱の時間を一目見た時からずっと読みたいと思っていて、昨日届き、無事に読み終えた。だってお前、「焼きガレイのおいしかったこと、という彼の言葉は、ぼくたち全員の気持ちを代弁していた。船乗りの歌を歌いまくったその晩のことを彼が感激とともに思い起こしたとき、ぼくは心からそれに同意した」 この文章を読んで圧倒されない人間がどこにいるんだ?

 

完全に期待通りだった。完全に最高だった。レンツは雰囲気を醸し出すのが抜群にうまかった。ある友情の形や愛の形があって、それをレンツは形容して表現するのではなく形そのものを書いた。ミスると無機質な冷たい文章になってしまうが、レンツはもうそこら辺を完璧に理解し、あのなんともいえない雰囲気(なんともいえない雰囲気。俺はかなり面白い表現を使っている。なんともいえない雰囲気......笑いが出そうだ!)を醸し出すことに見事に成功している。レンツの文章は、俺の中にある最高の友情の気持ちを代弁していた。その友情はレンツに心から同意した。光をもたらすジョゼフ! 主人公クリスティアンの彼女(これはかなり俗悪な言い方だ。本当は先生と書くべきだろう。しかも英語科の担当ということを添えて)の父親、彼は電気技師で切れる電球はすぐにわかるそうだ。いつもいくつか電球をカバンに入れていて、実費で譲っていた。そんな彼を仲良くなった客は『光をもたらすジョゼフ』と呼んだ。天才か。文章の途中で挟まれる小話や本当にささいなことでも、人間ならばだれもが共有している原風景の匂いや夕日のようだった。例えば、本当に端役としての役割しか与えれていないピュシュケライトという男がいる。彼が話はじめると聞いている人たちはみんなほほえんだ。主人公もほほえまずにはいられない。なぜなら彼がすべての名詞に縮小語尾(小さいものや可愛らしいものを表すためにつける)をつけ愛称のような呼び方をするからだった。こうしたことがたくさん書かれている。レンツ! どう生きればこんな文章が書けるんだ! クリスティアンは年相応のキモさがあって、まぁ正直きつい部分もあったが、まぁいけるって感じだ。レンツ!

 

エウレカセブンを見終えた。人間以外の知的生命体との対話。子供と大人。家族。恋。愛。気合い。エウレカセブンに気合いを注入しまくってデューイをマイルドにしスカブコーラルをちょっとかなり怖くすれば大体グレンラガンになる。スカブコーラル以外の知的生命体を登場させてデューイを消去すると大体ダーリン・イン・ザ・フランキスになる。そんなところだ。ところでアネモネの独白はノーベル文学賞を五回受賞できる。惜しむらくはエウレカセブンがアニメだったことだろう。レントンはなんか精神年齢が乱高下してよくわからなくなるが、とにかく終盤では父親の器になっていた。レントンの髪型がアドロックみたいになったのがその証拠だ。レントンはかっこいいときは髪型がアドロックになる。これは一般的によく知られている。とりあえずレントンエウレカは全てを終わらせてちょっと長い新婚旅行をやっていて、まぁいつか帰ってくるだろうってところだ。エウレカセブンAOに関してはあまり言及しないでおく。一つ言うとしたらあれにも面白くなる要素はあった。問題は、無視できない矛盾がありまくりだったことだけだ。

 

こんな感じです。